企業が従業員を雇用する際には、給与以外にもさまざまな費用が発生します。その中でも「法定福利費」は、法律で支払いが義務付けられている重要な費用です。これを正しく理解し、適切に処理することは、法令遵守(コンプライアンス)はもちろん、正確な原価計算や資金繰り計画にも直結します。
今回は、法定福利費の意味や種類、福利厚生費との違い、計算方法、会計処理、実務上の注意点まで解説します。
法定福利費とは?
まずは法定福利費の基本を解説します。
基本的な定義
法定福利費とは、簡単に言えば「法律で事業主(会社)に負担が義務付けられている、従業員のための福利厚生費用」のことです。これは、健康保険法や厚生年金保険法、労働基準法などの様々な法律に基づいて、企業が従業員の社会保障を支えるために必ず負担しなければならない費用です。
この費用を支払うことで、従業員は病気やケガをした際の医療費の自己負担が軽減されたり、老後の年金を受け取ることができたり、失業した際に給付を受けられたりといった、公的な社会保障制度の恩恵を受けることができます。
つまり、法定福利費は単なる「コスト」ではなく、従業員の生活の安定と企業のリスク管理を支えるための、非常に重要な「義務的な支出」であると言えるでしょう。
事業主の負担義務
日本における社会保険や労働保険の制度は、労使(会社と従業員)が共同で支え合う「社会保険方式」を採用しています。
この制度の根幹として、事業主は「雇い主」としての責任を果たすため、保険料の一部または全額を負担することが法律で義務付けられています。
この義務を怠ると、法律違反となり、延滞金や追徴金が課されたり、最悪の場合は刑事罰の対象となる可能性もあります。健全な事業運営のためにも、法定福利費の適切な負担は不可欠です。
福利厚生費との違い
法定福利費について理解を深める上で、経理上よく似た名前の費用との違いを明確にすることが重要です。特に「福利厚生費」との区別は、税務上においても非常に重要です。
項目 |
法定福利費 |
福利厚生費 |
根拠 |
法律(健康保険法、厚生年金法など) |
会社の任意(就業規則、福利厚生規定など) |
法的義務 |
あり |
なし(会社が任意に設定できる) |
具体的な例 |
社会保険料、労働保険料 |
健康診断費用、慶弔見舞金、社員旅行費用、食事補助など |
会計処理 |
法定福利費として、販売費および一般管理費に区分 |
福利厚生費として、販売費および一般管理費に区分 |
消費税 |
非課税 |
原則課税対象(慶弔見舞金など一部は不課税) |
法定福利費は「法律で決められている必須コスト」であり、福利厚生費は「従業員満足度向上のために会社が独自に提供するサービスコスト」である、と覚えておくとわかりやすいでしょう。
法定福利費の種類
法定福利費には、大きく分けて以下の6つの費用が含まれます。これらの保険料は、それぞれ「社会保険」と「労働保険」の二つのカテゴリに分類されます。
社会保険料
社会保険は、主に従業員の生活保障を目的とした保険です。事業主と従業員が原則として折半して保険料を負担します。
保険名 |
法律根拠 |
目的 |
負担割合 |
健康保険料 |
健康保険法 |
業務外の病気やケガ、出産、死亡などに対する給付 |
事業主と被保険者で折半 |
厚生年金保険料 |
厚生年金保険法 |
老齢、障害、死亡などの場合に年金や一時金を給付 |
事業主と被保険者で折半 |
介護保険料
|
介護保険法 |
40歳から64歳までの従業員が対象。介護サービス費用に充てる |
事業主と被保険者で折半 |
子ども・子育て拠出金 |
関係法令 |
児童手当の財源など、次世代育成支援のための費用 |
事業主が全額負担 |
※保険料率や折半の割合は、加入している健康保険組合や都道府県、年度によって変動します。
労働保険料
労働保険は、主に働く環境と雇用機会の安定を目的とした保険です。
保険名 |
法律根拠 |
目的 |
負担割合 |
雇用保険料 |
雇用保険法 |
失業時の給付、育児休業、介護給付、雇用安定事業など |
事業主と被保険者で負担(事業主負担分が多い) |
労災保険料 |
労働者災害補償保険法 |
業務上または通勤途中の事故、病気、死亡などに対する給付 |
事業主が全額負担 |
※労災保険料は、業種によって保険料率が大きく異なります。危険度の高い業務を行う業種(建設業など)は保険料率が高く設定されており、事務職中心の業務を行う業種においては、低めに設定されています。
法定福利費の取り扱い
次は実務における取り扱いについて説明していきます。
計算方法
法定福利費の計算は、それぞれの保険料ごとに計算の基礎となる金額や保険料率が異なるため、やや複雑です。ここでは、基本的な考え方と計算例を示します。
(1)社会保険料の計算基礎
社会保険料は、原則として従業員の「標準報酬月額」と「標準賞与額」を基礎として計算されます。
・標準報酬月額:毎月の給与を一定の幅で区分した等級に当てはめた金額です。
・標準賞与額:税引き前の賞与の金額から1,000円未満を切り捨てた額です(上限あり)。
計算方法(会社負担分):
標準報酬月額(標準賞与額)に保険料率を乗じて算出します。健康保険料・厚生年金保険料・介護保険料は、事業主と従業員が折半して負担しますが、子ども・子育て拠出金は、全額事業主が負担します。
(2)労働保険料(雇用保険・労災保険)の計算基礎
労働保険料は、原則として「賃金総額」を基礎として計算されます。
・賃金総額:事業主が従業員(パート・アルバイト含む)に支払う給与、手当、賞与など、労働の対償として支払われるすべての金額です。
計算方法(会社負担分):
・労災保険:賃金総額に労災保険料率を乗じて算出します。全額を事業主が負担します。
・雇用保険:賃金総額に雇用保険料率を乗じて算出します。事業主と従業員がそれぞれの定められた割合で負担します。
労働保険は、年度当初に「概算保険料」を納付し、翌年度に確定した賃金総額に基づいて「確定保険料」を算出し、その差額を調整する精算方式がとられます。
(3)計算例
社会保険料(健康保険料、介護保険料、厚生年金保険料、雇用保険料、労災保険料)の計算例を、「毎月の給与」と「賞与」に分けて、具体的なモデルケースで示します。
なお、健康保険料率や雇用保険料率は年度や地域・業種によって変動するため、以下の例では2025年度の協会けんぽの東京都の料率(一般の事業)を使用します。
項目 |
設定値 |
備考 |
勤務地 |
東京都(協会けんぽ) |
健康保険料率:9.91% |
年齢 |
45歳 |
介護保険加入:あり(介護保険料率:1.59%) |
標準報酬月額 |
300,000円 |
報酬月額が29~31万円の場合の等級 |
賞与の額面 |
500,000円 |
1,000円未満切り捨てで標準賞与額は500,000円 |
雇用保険料率 |
一般の事業 |
労働者負担:0.55% 事業主負担:0.9% |
労災保険料率 |
卸売業・小売業(0.3%) |
労災保険率は業種により異なる |
①毎月の給与にかかる社会保険料の計算例
毎月の給与にかかる社会保険料は「標準報酬月額」をベースに計算します。
保険の種類 |
計算式 |
従業員負担額 |
事業主負担額 |
健康保険料 |
300,000円×9.91% |
14,865円 |
14,865円 |
介護保険料 |
300,000円×1.59% |
2,385円 |
2,385円 |
厚生年金保険料 |
300,000円×18.3% |
27,450円 |
27,450円 |
小計(社保) |
|
44,700円 |
44,700円 |
雇用保険料 |
300,000円×1.45% |
1,650円 |
2,700円 |
労災保険料 |
300,000円×0.3% |
0円 |
900円 |
合計 |
|
46,350円 |
48,300円 |
従業員の控除合計:46,350円
事業主の負担合計:48,300円
②賞与にかかる社会保険料の計算例
賞与にかかる社会保険料は「標準賞与額」(1,000円未満切り捨て)をベースに計算します。
賞与の額面 500,000円 標準賞与額 500,000円
保険の種類 |
計算式 |
従業員負担額 |
事業主負担額 |
健康保険料 |
500,000円×9.91% |
24,775円 |
24,775円 |
介護保険料 |
500,000円×1.59% |
3,975円 |
3,975円 |
厚生年金保険料 |
500,000円×18.3% |
45,750円 |
45,750円 |
小計(社保) |
|
74,500円 |
74,500円 |
雇用保険料 |
500,000円×1.45% |
2,750円 |
4,500円 |
労災保険料 |
500,000円×0.3% |
0円 |
1,500円 |
合計 |
|
77,250円 |
80,500円 |
従業員の控除合計:77,250円
事業主の負担合計:80,500円
会計処理
法定福利費の会計処理は、給与計算と密接に関わるため、発生主義か現金主義か、また簡便法を使うかなどによって細かな仕訳が変わります。今回は発生主義による基本的な仕訳パターンを説明します。
・給与支払時(従業員負担分を天引き)
従業員負担の社会保険料などを給与から差し引く際に、その金額を「預り金」として計上します。
給与(総支給額) / 普通預金など(差引支給額)
/ 預り金(従業員負担分)
・月末(事業主負担分の計上)
企業が負担する法定福利費を費用として計上し、まだ支払っていないため「未払費用」として計上します。
法定福利費(企業負担分)/ 未払費用(企業負担分)
簡便的な処理として、給与支給時に従業員負担分を「預り金」ではなく「法定福利費」のマイナスとして計上し、支払時に全額を「法定福利費」として計上する方法もあります。
・社会保険料の納付時
企業が預かっていた従業員負担分(預り金)と、企業が負担する未払金(企業負担分)を合わせて納付します。
預り金(従業員負担分)/ 普通預金など(納付額合計)
未払費用(企業負担分) /
製造業や建設業における注意点
製造業や建設業など、原価計算を行う事業では、法定福利費を「人件費の一部」として、その従業員の担当部署によって以下の通りに区分する必要があります。
・製造部門の従業員分:製造原価に含めて計算されます。(労務費)
・営業・管理部門の従業員分:販売費及び一般管理費として処理されます。
特に建設業においては、国土交通省の指導により、見積書に法定福利費を内訳明示することが強く推奨されています。これは、法定福利費を適切に確保し、社会保険等への加入を促進するためです。
実務上の注意点
制度を正しく運用するためには、以下のような点に注意する必要があります。
(1)徴収漏れ・過徴収への対応
社会保険料の徴収ミス(計算ミス、手続き漏れなど)が最も注意すべき実務上のリスクです。
徴収漏れが発覚した場合、速やかに従業員に謝罪と説明を行い、正しい保険料を再計算して過不足分を清算する必要があります。
・不足分は翌月の給与から追加徴収するか、本人から現金で徴収します。
・会社が従業員本来の負担分を立て替えて納付した場合、その金額は従業員の課税所得(現物給与)として扱われ、年末徴収や確定申告に影響します。
徴収ミスは遡って修正が必要になることがあり、事務手続きも煩雑になるので、ミスが起きないよう日頃からの注意が必要です。
(2)料率の変動・適用時期に注意
保険料率は毎年または定期的に見直されます。また、健康保険・組合健保によって料率が異なることもあります。事業者は最新の料率を把握し、適切に計算しなければなりません。
また、従業員の昇給・降給・入退社が発生した場合には、標準報酬月額(または随時改定)を適切に変更し、保険料の再計算を行う必要があります。
(3)締め日と支払日のズレによる未払処理
多くの会社では、給与締め日と社会保険料支払日が異なることがあります。このようなズレがある場合、期末時点で未払金の計上を忘れると、費用漏れや債務債権のずれが生じる可能性があります。
そのため、締め日ベースで法定福利費を計算して未払費用を計上し、支払時に消し込むような処理が必要です。
法定福利費が企業経営に与える影響
法定福利費は、経営戦略において見過ごされがちな項目ですが、人件費全体に大きな影響を与えます。
採用と人件費戦略
法定福利費は、従業員の給与・賞与に一定の保険料率を乗じて計算されるため、給与を上げれば自動的に法定福利費も増加します。
法定福利費は、従業員に支払う給与とは別に会社が負担する「間接的な人件費」であり、このコスト増加を考慮せずに人件費予算を組むと、予期せぬ資金繰りの悪化を招きかねません。
採用計画を立てる際や、給与改定を検討する際には、必ず法定福利費の増加分も見込んでおく必要があります。
資金繰りへの影響
社会保険料は、原則として当月分の保険料を翌月末に納付することになります。この「支払いのタイムラグ」を考慮して、毎月の資金繰り計画に正確に組み入れておくことが重要です。
特に、賞与(ボーナス)を支給した月は、標準賞与額に基づき算定された社会保険料の納付額が大幅に増加するため、その翌月の資金繰りには十分な注意が必要です。
法定福利費の節約は可能か?
法定福利費は法律で義務付けられている費用であるため、原則として削減することはできません。
しかし、法定福利費の算定基礎となる「標準報酬月額」を下げることで、結果として法定福利費を抑えることが可能な場合があります。
例えば、
・役員報酬の適正化:役員報酬を不相当に高額にせず、事業規模に応じた適切な水準に設定する。
・給与体系の見直し:給与の一部を、社会保険料の算定基礎とならない非課税の福利厚生制度(例:適正な家賃を徴収した社宅制度、非課税限度額内の通勤手当など)に振り替える。
ただし、これらの見直しは税務や社会保険の専門的な知識が不可欠です。安易な判断は避けて、必ず専門家である税理士や社会保険労務士にご相談ください。
まとめ
法定福利費は、企業が従業員を雇用するうえで避けて通れない費用です。法律で支払いが義務付けられているため、正確な理解と適切な管理が求められます。
福利厚生費との違いを理解し、毎月の計算・会計処理を正しく行うことで、税務リスクを回避し、健全な企業運営につながります。